舩後さんのライブに行ってきたよ! 

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舩後さんの所属するおきぬバンドとチームふなGOライブ

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2019年9月15日、千葉の本八幡で行われたライブに行ってきました。舩後さんに近い空気の中でお会いしてみたくて行きました。
情報は1か月前くらいにツイッターで見つけました。メールで予約して行くと、200人以上の席が満席になっていました。
どんな音楽を聞けるのか、カバーなのかオリジナルなのか、全く見当もつかなかったけどすごく楽しみでした。

隣の八幡様ではお祭りで出店が出ていて、地元の家族がサンダルで涼しそうな格好で集まってきて、いかにも下町の風情でした。
14時からだったので余裕な気分で行けました。

 

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震災のメッセージとはじめの詩

舩後さんからのメッセージが10分間にわたって朗読されました。いつもテレビでも見かける、言葉を伝えてくれる女性の方です。
震災について心配されていることや、実際に行動していることなどをお話してくれました。

その後、詩の朗読と音楽が最初の一曲目です。ゆっくりふわふわ進めばいいんだよという温かくて優しいメッセージが、朗読の方の声の雰囲気と合いまって包まれるようでした。
ここでもはや、不覚にも滝のように涙してしまいました。

 

コラボした地元のグループ

2曲目からは、地元のラッパーさんと、どすこいラッパ-ズ、というTBSのドラマも出ていたラップのグループとコラボ。
マヤさんが参加したラップだけどしっとり聴かせる歌や、ダンサーの2人組もすんごくうまくてよかった。
舩後さんもギターで参戦。地元の人々やグループとコラボして行きたいんだなと言う、舩後さんの愛が伺えました。

レゲエ?は友人の結婚式で、仲間に練習させられてなぜかパチンコマンの替え歌を歌ったことはあるけど、
ラップとかレゲエなんて自分から見に行くことはないし、両手を上げてノるのはおもしろい経験でした。

 

舩後さんの経歴と若い頃やっていたバンド おきぬバンド

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おきぬバンドというのは、舩後さんのあだ名から来ているのだそうです。舩後さんが学生のころ乗っていた自転車がSILKブランドの自転車だったそうで、舩後さんのあだ名はシルク。バンドのMCの方は、何シルクなんて言ってかっこつけてんだ?と笑をさそいます。どうやって舩後さんがギターを演奏するのかもピアノの全体進行の方が教えてくれました。
口にくわえたチューブを噛むことで空気圧を送り、それが機械を通ってギターに伝達されて鳴るそうです。

で、舩後さんが、ただシルクじゃつまらないから、シルクは絹だから”おきぬ”にしよう!と言っておきぬバンドとしたそうです。

いかにも高校生らしいエピソードですね。

で、この4人グループは、とっても仲良くて、それぞれの雰囲気が全く違うから、合わさっていいハーモニーなのだろうなと感じるのです。舩後さんはとにかくギターが上手だったそうで、プロになるんじゃないかとみんなは思っていたそうです。
私が観たところ、ステージに向かって右側にいたベースの方の声と歌がかなり良かったと思いました。ハモリが最高でした。

とにかくカバー曲1曲もなく、全部オリジナルでした。

私が気に入ったのは、この道~から始める歌でした。これは舩後さんの詞でした。
詩と曲がすんなり入ってきました。

最後の曲もよかったです。最後の曲は60年代のアメリカ西海岸風で前向きな音楽と歌詞でした。60年代70年代の日本のポップスの雰囲気のものもありました。

この時代は抑圧された若い人のパワーがアメリカに憧れたりとか、まだまだスカッと明るくなり切れないような哀しい影のあるメロディーもあるのだなあと思いました。

 

議員舩後靖彦さんの経歴と若い頃

おきぬバンドの最後の曲が終わると、舩後さんのストーリーを朗読と俳句で教えてくださいました。

朗読は女性の方。俳句は男性の方が淡々と読んでいきました。

舩後さんは若いころ、ダイヤモンドを売る商社マンだったそうです。80年代のバブル期を超えて売り上げは絶頂期になり、その後も8年もトップセールスを続けていたそうですが、ある日突然、歯ブラシが落ちたりし始め様子がおかしくなったそうです。その後も無理を続けて出張などにもいっていた様です。私なら考えられないなあと思いました。フォークもナイフも持てなくても、海外の晩餐会に出席して営業を続けていたという話。

カバンが持てなくなって、肩からかけて出勤したり、パソコンが打てなくなって、そしてようやく病院へ。

でも苦しかったのはこれより後のことだという驚き。

不治の病と診断され、入った病院。喉を切開して空気を吸うようにしたり、その後15か月も続いた看護師長からの陰湿ないじめ...
私だったら、このいじめに耐えきれないなと思いました。
そして施設から飛び出すことにした後も、自宅でのヘルパーから介護でのネグレクトや騙し。鬼の形相の大家さん。

それでも生きていれば出会いがある。

舩後さんはこう続けます。
そしてたまたま出会った今の社長。この人が素晴らしいです。女性ですが、出会った頃ちょうど介護の会社を立ち上げたばかりだったそうです。
むくんでいた舩後さんを見て、水を減らしてみたら?と水分を減らして、全身をマッサージすると、それだけで頭の船酔いの様な状況から解放されたそうです。

幸せっていつかきっと訪れるものですね。
でもこれは舩後さんが逆境に負けず生きてきたからだそうです。

そうその女性社長に言われ、舩後さんはその会社に雇われた。社会で生きる場所を与えられて初めて、舩後さんは生きている気持ちになったそうです。

その女社長というのが、いつも隣で通訳の様なことをされているあの女性なのですね。

舩後さんのおしゃれな装いももしかしたら彼女のセンスなのかもしれませんね。

 

舩後靖彦さんはalsで難病 出会いと社会で生きる事

出会いは、ただうつむいて悲しんでいてもなかなか訪れないんですね。

なにくそ、何とかしてもらうぞ!と思って声を出したり、助けを求めたり。
違うなと思ったらそこから這い出して逃げてもいい。なぜならその場所はすでに腐っている場所だから。
そこで他人を変えるよりも、自分の考えと合っている人たちの中へ飛び込んで行ったほうが早い。

いじめやパワハラをする人は最低だけれども、その人たちを排除しても、既に腐っているその組織は、居心地がいいものでは無くなっているかもしれない。だから無理せず飛び出すことも大事なんだと思いました。

だからと言って教育委員会や学校側は、我慢して行く場所ではない、などと言える立場ではない。彼らはいじめをなくす努力をして行く立場だから。

私は今は自由だから、行きたいところへ行って会ってみたい人に会って、会いたくない人には会わないという選択ができる。

舩後さんが社会で生きるということは、誰かの役に立てることで、それが幸せで、全力でこうしたほうがいいんじゃないかというアイデアをすべて書きだして社長や会社のみなさんに伝えたというエピソードは、心に強く残りました。

帰りはまだ空もまだ明るく、八幡様の出店で、たこ焼きと広島焼としゃおびんを買って食べて帰りました。

 

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chocopan

長年働いてきた会社を辞めて、自営業を始めました。 自分的働き方改革中の40代です。 家で働いていて気づいたことや、気になっていることについて、自分の考えを書いています。家にいる時間が増えたので、テレビもよく見るようになりました。毎日軽いジムにも行っています。簿記2級の試験を受けるために勉強中です。 よろしくお願いいたします。

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